名古屋競馬の少し昔話を交えて

ゲッターズK
 「名古屋競馬、盛り上げたいよね」。
 ずっとずっと前から思案しつ続けていたし、限られた環境の中で手立ても施してきたつもりだ。
 かつて中央のGⅠホースの仔がいた。担当の厩務員が学校の後輩だった。
 「こういうのが走り出したら、世間が注目してくれるかもしれないね。オイ、何とかしやあ」。
 「はい。何とかしたいですよ」。
 気持ちとはウラハラのプロの視点というのももちろんあって、思うがままには行かないのだが、日刊紙をあおって特集記事を書いてもらったこともあったし、当時、競馬雑誌が世に出始めて頃で、私自身も記事を書いたりもしていた。

 彼とはバカな遊びも多々したのだが、馬の話をしている時が一番、楽しかった。化骨の進む段階であるとか、削蹄に工夫して、肩に難点のある馬を矯正したりとか…。
 厩務員としての彼は優秀で、正確な数字はないものの、担当馬の勝率は半端じゃなかった。

 腰の持病とか、いろいろあって、この世界を去ってしまったがのだが、今でもつきあいはある。時々、競馬場でも顔を合わす。

 「今の競馬は(馬券として)難しいですね」と彼は言う。すべてを聞かずとも、その理由は理解できる。共通する部分だから。
 パドックを見る、返しを見る。張る金額が減ることはあっても、増やそうという気にはなかなかならない。みんなゴトゴトやもなんあ。

 「何とかしたい」は昔から。
 吉田稔を頻繁に取り上げていたのは、彼がまだリーディングの10位前後の頃だった。トップランクの騎手は俺が書かんでも誰かが書くやろ。正当な評価を得ていなくても、実際はずば抜けていた彼をアピールするのはプロのつとめだと思っていた。
 戸部ナオナオも頻繁に取り上げてきた。世評よりも腕の立つ乗り手だったから。
 岡部や丸野もリーディング上位に来る前から積極的に取り上げてきた。

 安藤貴、満田、横井、加藤誓等、若いジョッキーのこともできるだけ表に名前を出そうと意識してきた。少しでも彼らの励みになればと思った。不幸にも本当に良かった時代を知らない彼らは、勝つ喜び、表に出る喜びがモチベーションのアップ、キープになる。
 推奨馬にして結果が出ないと、「すいません」。結果を出すと、「やりましたよ」と嬉々ととした声でケータイが入る。
 グレード競走にチャレンジする馬。「レースに乗ることはないですが、攻め馬をつけるのは僕ですからね。そういったことを取り上げてもらえると励みになりますよ」と言ってくれた若手ジョッキーがいた。

 瞳、瞳、瞳…。大変だ。ほっといても話題になるやろ。

 瞳に対しての「ご苦労さん」。深見ほどではないにしろ、私なりの重みはある。

 元厩務員とは来週、会う。乗り役も交えてになるかも。
 「明日の夜、あけておいて」とは某調教師から。今日中に土曜日の中央の予想のメドをつけておかなアカンな。