指折りの段階へ

東海ダービーを勝つこと、1000勝すること。
1988年にデビューして、四十路になった倉地学騎手の目標、目安。
昨年、東海ダービーを勝った。
そのおよそ4ケ月ほど前に名古屋・笠松競馬の特集記事を日刊紙で書いて、東海ダービー候補として倉地学騎手&ダイナマイトボディを写真つきで書いた。
「書いてもらったことがウソにならなくてよかったよ」とレース後に言ってくれた。
1000勝、指折り数えられる段階に入っている。今月中にも達成がありうる数字だ。
昔と違って、乗り役の数はウンと減っている。頻繁な笠松出張も含めて一人あたりの騎乗機会数は相当に増えている。“1000勝”の重みは昔よりも薄れているかもしれない。
しかし…。
いわゆるスタージョッキーではない。主戦騎手という立場になったこともない。そういったポジションで積み上げてきた数字は、トップジョッキーたちのそれとは異なった深みがあると思う。
年齢や諸々のことが関わっての減量との戦いもえる。「汗取りって体力を使うからね」とこぼしたこともある。
到達まで、それこそ自らに鞭を打つ心境かもしれない。
現在の中京競馬場のラストも近づく。
かつては名古屋競馬開催の中で定期的に中京シリーズがあった。
その当時に、あるいは当時から、関わってきた競馬人にとって、それぞれに想い出、思い入れのある場所。
昔々、若手中心の乗り役たちの新年会に出走していて、そのときに倉地騎手がこう言った。
「この中でGⅠレースを勝っているのは俺だけだなあ」と。
東海地区の重賞の格表記は、今は“SP”が使われているが、かつて“G”表記されていたことがある。
中京芝2000mで行われたターフチャンピオンシップ。地方競馬の今でいうところの3歳馬の交流重賞。この第2回をブライアンカーチスで勝っている。これは倉地学騎手にとってデビュー3年目の重賞初制覇だった。
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